全く経験のないことにチャレンジしなくてはならない時、どのように取り組めば成果に繋がりますか?


全く経験のないことにチャレンジしなくてはならない時、どのように取り組めば成果に繋がりますか?
EDUCE勝亦
EDUCE勝亦
「願ってもないことに恵まれた」と思えると良いですね。
つまり、チャレンジしなくてはならない→チャレンジさせてもらえる、への変換です。

この気持ちの変換は、結構厄介に思えることでしょう。ありきたりの表現には、若いうちに失敗や挫折を経験しろ、自分にできない困難は巡ってこない、とかいろいろあります。確かにわかりやすい名言であり否定はしませんが、一歩足が踏み出せない状況にある人へのアドバイスになるのか疑問を感じてしまいます。そんなことは分かってるでしょう?

私の提案は、「感謝の気持ちを持とう」です。10年前に最愛の妻を病気で失いましました。残された時間、与えられた人生を最後まで必死に全うしようとする素晴らしい生き様でした。生きたくても、生きられない人は私の妻だけではないですよね。

そんな状況と比べてみたら、新たなチャレンジなど些細なことに思えて来ませんか?歴史的に見ても、今の時代に生きられるだけでラッキーなんです。生きる→生かされている→活かされていく、まで置き換えてみましょうか。つまり、使命がある。直面する「やらなければならないこと」を感謝の気持ちを持って、チャンスに捉えて、俯瞰してみて見ることへのチャレンジに置き換えて欲しいです。

人間は本来、保守的で臆病です。過去の痛手(昨日)、先の心配(明日)にがんじがらめにならずに、今日に集中して、怖くても進む勇気を持とう!案外、やってみたらたいしたことなかった、と思えるものですよ。

エクス抱
エクス抱
人間は過去から現在へ、現在から未来へと行動の可能性の分岐を無数に増やしながら生きている。その小さな分岐の一つひとつを吟味すれば、過去に経験したことよりも、全く経験にないことに遭遇する場面の方が遥かに多いのが現実であろう。未来に向けて生きている限り、未経験なことが出るのは当然の事なのだ。

しかしこれから取り組もうとしていることも、その行動の内容を分解し、その本質の純度を高めて行けば、経験済みの事との共通項が多いはずだ。

未経験とは、その経験の本質ではなく対象や場面、資源、方法などが異なるだけであり、行動の本質は変わらないので、自分の価値観を見失わずに行動すれば、自ずと成果は付いてくる。
ここで未経験というワードに踊らされて、行動や判断の基準がぶれることを一番恐れるべきではないだろうか。

チャレンジでは、そのゴールを「成功」にせず、「成果」にするべきである。
成功はゼロサムだが、成果をゴールとすれば、事の正否に関わらず何らかの学びを得ることができるはずである。
成功とは「形」であり、成果とは「価値」である。
チャレンジを継続的な成長につなげたいものである。

経験のない事には、自分の価値観をブレることなく挑戦することが重要で、上手くやることではなく、ブレずにやり抜くことであろう。